- 読んでほしい人
お金の歴史に興味がある人 - 扱うテーマ(悩み)は?
お金ってなんなの? - 伝えたいこと
お金の歴史は、「負債」として始まったということ - この記事を読んで、得することは?
お金の見方が変わります。お金の見方が変われば、正しく経済現象を捉えることができるようになります。
今回の記事は、お金シリーズに位置するものです。
お金シリーズは、このブログで何度も過去に取り上げています。
デヴィッド・グレーバーの『負債論』に触れつつ、お金の歴史、国家と市場の関係について考えてみたいと思います。
『負債論』が欲しくて近くの大型書店を見て回ったけど、見つからなかったので、結局Amazonで購入した。
約6,500円と本にしてはかなり高価だけど、マネーの本質に迫るには必読の書。
これだけ高い本を買うのは、ピケティの『21世紀の資本』とジョン・ロールズの『正義論』以来(笑)。 pic.twitter.com/LHG8JQ3RJ4— 地方公務員R (@Resident_of_R) September 18, 2018
今回、伝えたいのは、お金は「負債」であるということ。
言葉をもう少し簡単にして、誰かへの借りを、一定の尺度で示したものということになります。
ページコンテンツ
物々交換は無かった? お金の歴史についての定説を疑う
- お金が物々交換から始まったとされる証拠は無い。
- むしろ有力な説は、負債(債務)の証としてのお金。
よくお金の説明をしているブログや記事に、お金は物々交換の需要から生じたものである。塩、貝殻、貴金属、紙幣へと段階を経て進化してきた、と説明されています。
この考え方は、経済学の伝統的なお金の捉え方です。この考え方を経済学の専門用語で、商品貨幣論、貨幣ヴェール観と言います。
お金は、他の商品と同じであり、ある商品と商品を媒介するための便利な手段である。
そして、そのお金は国家が介入せず、市場で自然発生的に生まれたものとする考えです。
古代から、アリストテレス、ジョン・ロック、アダム・スミスなど経済学の大御所が採用しているお金の考え方です。
しかし、この考え方(商品貨幣論)は、どうも違っているとされています。
そもそも、物々交換からお金が生じた、とする証拠がありません(脳内でのシュミレーションでしかない)。
もっと古くからお金という概念は存在していて、それは今回紹介する、お金は負債であったとする考え方です。
お金は負債(誰かへの借り)を示す尺度
- お金は誰かへの借りを示す尺度である。
経済活動をする中で、今でも普通に行われているのが、売掛金や買掛金という考えです。
その場で決済をせず、後々まとめて回収するということです。
ツケとかって言いますね。このツケこそが、お金の正体だよ、ってことです。
誰かが誰かに一定の負債(ツケ)負っていることの証。それこそが、お金でありマネーです。ツケでその場を凌ぐということは、ツケを与えた人が、ツケを受け取った人に対して信用をしているということの証でもあります。
だから、お金は負債でもあり、信用でもあります。
詳しくは、私の過去記事を御覧ください。
>>あなたは、お金の本当の正体を知っているか? 衝撃の事実が明らかに。。。
誰かが誰かに負っている負債を信用して、他の第三者が自分の取引に使用し始めると、その負債はお金(マネー)として機能し始めます。
信用取引の負債の証が、当初の契約を離れて、第三者の手元に渡り、マネーとして機能し始めるのです。凄いですよね。
お金が負債であり信用であるという考え方を、「信用貨幣論」と言います。
現実の経済現象を正しく捉えるには、こちらの「信用貨幣論」をもとに分析する必要があります。
*ちなみに、よく出てくるお金の説明で、以下のようなものがあります。
- 価値の保存
- 交換手段
- 価値の尺度
これはですね、お金の機能を説明したものであって、お金の本質(発生起源)を説明したものではありません。機能と本質は別物です。
お金の量を増やすには、信用(負債)の増大が必要になる
- お金の量を増やすには、世の中の信用(負債)の量を増やす必要がある。
これは前にも話ましたが、お金の量を増やすには、誰かが世の中の信用(負債)を増やす、言い換えると、借金をする必要があります。
つまるところ、日本がデフレを脱却できないのは、インフレに持っていくだけの借金をしていないから、と結論付けられます。
>>なぜ、日本は、日本銀行の金融緩和だけではデフレを脱却できないのか?
しかし、残念ながら、日本政府は、増税をして、借金を返そうとしています。つまり、信用を減らし、負債を減らし、お金の量を減らす政策を採用しているということになります。
正しいマネーの考えかたを理解しないで経済政策を採用すると、とんでもない結論を導くことになります(デフレから脱却できない日本の20年間)。
さて、金融政策の話はこのへんにして、ついで、市場と国家の関係を考えてみましょう。
市場とマネーは、国家が生み出したもの?
- 市場(Marcket)とお金(Money)は国家が生み出したもの。
- 市場と国家は相互に依存する関係にある。
よく小さな政府で、市場にはできるだけ介入しないほうが良い。
大きな政府で介入したほうが良い。
こんな話を聞きます。ここにあるのは、「市場VS国家」というイメージです。
実はこれも極端な考えでして、国家と市場は、本来、相互依存関係にあるのです。
市場で中心的な役割を果たすのが、お金です。経済の潤滑油ですね。
このお金を創り出したのは、国家です。
『負債論』のサブタイトルにあるとおり、貨幣には暴力が付きまといます。
貨幣(お金)と暴力が関係してるってどういうこと?
貨幣には暴力がつきまとう、とはどういう意味か?
そもそも、人間の生命にはお金で換算できない、絶対的に価値があるものという認識があります。人間の命はお金では代替不可能であるということです。
誰かが死んで、その償いをお金でするのが今の世間常識になっていますが、よく考えるとなかなか残酷な話です。
このストーリーを可能にしているのが、強権力(暴力)を行使する国家という意味です。
国家は今では基本的人権を擁護したり、法律の執行を行います。しかし、歴史を俯瞰してみると、国家はそれほど生易しい存在ではなく、欲望や植民地主義丸出しの時代もあったわけですね。
負債の尺度という観点から、国家の強制権力で、お金をあらゆる事象で数値化するという点です。
(例:人を殺した賠償として、〇〇円の賠償金。)
(例:人身売買、一人に付き〇〇円。)
本来であれば、負債の尺度として、お金に換算してはいけないものまでもが、数値化され、当初の文脈から切り離されてしまうという、非常に冷酷な側面がお金にはあります。
貨幣国定説という考え方
- 信用(負債)を最終的に担保するのが、国家。
- 国家の信用力をもとにお金のあり方を考えるのが、現代貨幣理論。
- 通貨の究極的な機能を考えると、租税債務の解消に行き着きます。
お金は、物々交換じゃなくて、国家の強制権力により生まれた。
そして、お金とは、信用や負債を一定の尺度で示した証である、ということ。
そして、信用や負債は、国家だけでなく、企業や個人でも創れること。
ここまでのおさらいです。
しかし、一国の経済を処理するだけの信用や負債を創り出せるのは、政府(国家)しかいません。
ここで、信用貨幣理論と国家(政府)が結びつくわけです。
この点から、ビットコインを始めとする仮想通貨は興味深いのです。
仮想通貨は負債や信用でも無いし、その信用を担保するのは、国家ではなく、暗号とそれを巡る承認システムのあり方だからです。
意外と知られていない、現金の究極的な価値について
現代のお金には、大きく分けて、2つの種類があります。
それは、現金と預金という2つの種類のお金です。

*日銀資料からR作成
ざっくり、世の中に出回っているお金のうち、銀行預金が9割、1割が現金です。
ほとんどが、預金ですよね。
預金の本源的価値は、最終的には、現金に変換できることです。
ATMや銀行の窓口に行くと、預金は、日銀の紙幣と交換ができることによって、その価値を保っています。
じゃあ、現金を最終的に担保している価値とは何か?気になりますよね。
ここで重要になってくるのが、マネーは国家が創り出したもの、という考え方です。
現金の究極的な価値は、租税債務の解消にあります。
このことは意外と知られていません。
私は税金の現場にいたので、身をもってこの言葉の意味がわかります。
皆が紙切れを1万円と思っているから、お金には価値があるという考え方も正しいですが、やや弱いです。
しかし、現金で政府から課税された納税義務を解消できるというその一点に求めるのなら、現金の価値について、分かりやすいですよね?
納税義務を履行しなければ、差押えをされて、あなたの財産は没収されます。租税権力こそ、国家の最高権力のうちの1つです。現金の究極的な使用価値は、この納税義務を履行する手段として法定されているという点において、価値があります。
この点においても、お金が国家と強力に結びついている点を確認できるのではないでしょうか?
税金と国家、市場とお金、色々な点で、国家と市場はつながっており、相互依存関係にあることがわかります。
なぜ、負債がお金になったのか?
- 人間は誰かしらに負債を負っているというストーリー。
- 人間は社会的な生き物であるという考え方。
- 債務の返済がモラルであるという考え方。
お金が負債であり、その負債の尺度(大きさ、スケール)を示したものである、という点が理解できました。
では、なぜ、負債がお金になったのか?
さらに深まってきましたね(笑)。ここまで、お金について深く考えているブロガーも少ないと思いますが(笑)。
一応、考えておきましょう。
納得できる考えは、人間は誰しも、負債を少なからず負っている、という考えです。
自分だけですべてを完結させるのは難しいし、そもそも生まれてきた時点で、赤ちゃんとして面倒を見てもらっているわけなので、負債を負っていると考えることもできます。
誰かの協力(ツケや助け合い)がなければ、生きていけません。ましてや、今より環境が厳しい古代では。
なので、人間という生き物が、そもそも負債(ツケ)と隣り合わせの生き物であるという考え方がありますかね。
ちなみに、伝統的な宗教は、この負債という考え方を非常に重要視しています。それほど、人間と負債が密接に関わり合っているという証拠なのでしょうね。
キリスト教には、原罪(Sin)という考え方があります。生まれながらに人間は罪(債務)があるという考え方です。
『負債論』の著者であるデヴィッド・グレーバー氏が文化人類学の専攻しているという点から、かのマルセル・モース氏の『贈与論』の影響を受けていることは間違いないでしょうしね。
債務の返済がモラルという考え
債務の返済がモラル。つまり、借りたものは返して当たり前、という考え方ですね。
この考え方が当たり前かどうかの議論はありますが、多くの世界で、それなりに妥当性のある考え方であると認知されているということでしょうね。
約束やモラルを守らないとまともな経済を展開できなくなってしまうからですね。
あるいは債務の返済がモラルであるという概念が浸透することによって得をするする人がいた、とかですかね。つまり、債権者にとっては、負債の返済がモラルであり、債務不履行は犯罪であるとまで烙印を押せれば、有利な立場に立てるということです。
実際に歴史を見ても、債務不履行者は犯罪者として、債務者監獄という身体を拘束された所へ収監されることもありました。
債務を返済し終えるまで、一生債務の奴隷ってわけですね。マルクス経済学じゃないけど、債務不履行を名目に、債務不履行者から搾取可能になるわけです。
この記事で伝えたかったこと
- 経済学が前提としている貨幣観である「商品貨幣論」は疑いの余地が大いにある。
- 現実の経済現象を正しく理解するには、「信用貨幣理論」と「貨幣国定説」をハイブリットさせる必要がある。
- お金は、負債であり、信用であり、それらを数値上に換算可能な尺度である。
- 預金の究極的価値は現金に変換できることで、現金の究極的価値は、納税義務の解消ができる点に求められる。
- 市場と国家、貨幣と国家、市場と国家、それぞれの関係は依存関係にある。
- 負債(ツケ)がお金になった歴史的経緯は、そもそも人間が社会的に繋がりを必要とする生き物だから。
ということで、今回はお金シリーズ特有の現象で、長文になりましたが、お金の根源を探る知的な回になったのかな、と思います。
本当は、文化人類学なので、ソシュールの言語論や、構造主義などの話にも触れたいのですが、そこまでやると収まりきらないので、今回はこの辺にしておきましょう。
お金は自然発生的に生まれたものではなく、国家が創造したもの。人工物です。
人間の創造物であるお金を理解することなくして、経済現象や投資は語れません。
ではでは。
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